色即是空と記号論

記号論

記号

 記号論といえばソシュールが有名である。彼の記号に対する理解はとても直感的でわかりやすい。しかし、ふと「それは記号の性質ではなくて観測者である我々の性質ではないのか?」と問いたくなるようなものでもある。

 記号、(signifier)それは匂いであったり音であったり、はたまた光信号であったりする。我々の脳が外部から受け取る各種物質的な媒体を表し、これと我々はある種のキャッチボールのような関係にある。我々はこの媒体より受け取ったモノから「情報を抜き出して利用する」という利用者の立場を行使しつつ、「このモノの全貌を解明して、我々の『そのモノ』に対する理解を上書きする」学習者の行動も行うのである。

 例えば、「ん」と2回発音してみてほしい。この二回の音をもし、精密なレコーダーで録音し、音の波形を機械で比べてみれば、必ずどこか異なっているはずである。しかし、我々はそれが同じ「ん」の音だと認識できる。

 実は日本語には4種類の「ん」がある。「ワンタン麵館」といってみれば、それぞれの発音で舌の位置や唇の状態が異なっていることがわかる。しかし、これは外国語を学び、発音記号などの視座でその言語を「展翅」してみて初めて分かることであり、日本人の認識フレームワークではこの発見に至るのは困難であろう。才能があれば別だが。ここで言う才能とは、発話に間違いがあったり、常人と異なる音声認識能力を持つことを指す。

 また、ここでの分類軸も印欧語の差異を説明した体系を日本語に当てはめただけにすぎず、仮にアフリカの言語を説明する体形があれば、(アフリカの諸語は印欧語よりも音素が多い。より精彩な言語観が築かれるだろう。)日本語のさらに細かい違いについても言及される可能性がある。

記号2

 先の例は、我々が1つしかないと思っていた「ん」が実はいくつかの下位分類があり、そのいくつかの「ん」という記号と我々の脳が認識する「ん」の間に事象の結節点があるということを示すためのものである。ではなぜこのような現象が生まれたのか。これは、記号の繰り返す性質が関係している。

 記号は反復されるうちに、その性質が固定されていく。はじめは個別事例しかなかったものが、繰り返されることによって「公の意味(denotation)」と「個別の意味(connotation)」になっていくのである。(赤=公、薄青=個別)

 ここでいう公の意味とは、例えば「run」においては「進むっぽいこと」であって、個別の意味とは「(会社を)経営する」「走る」にあたるようなものである。公の意味はその語の属性と言い換えてもよい。

 先の「ん」の例に照らせば、青い領域は我々が毎回発音するすべての「ん」際の小さな音のズレであり、赤い部分は我々の認識するすべての「ん」である。

 ただ注意してもらいたいのは、我々が一般のコミュニケーションで提示されるのは一番左の、「その場限りの意味」であり、それを一番右の、我々の解釈のフレームワークで処理することによって意味を得るのである。だから、或る会話の場で「A」の言葉を皮肉の意味を込めて「¬A」である対象に使ったとしてもそれは誤用とはならずに、皮肉となるのである。

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反復の効果

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立体モデル



 

これは記号論理で言えば赤い部分は「A∧B∧C...」(∧は「かつ」をあらわす)であり、青い部分は「A∨B∨C...」(∨は「または」を表し、「かつ」領域も含むとする)である。

応用

集合に係る同一性

 このような記号の性質は何も1単語のみに起こりうることではない。いくつかの言葉のグループであったり、解釈などが類似と差異によって一つの解釈にまとめられることがある。たとえば、二字熟語の読み方の例に出てくる「湯桶読み」と「重箱読み」がそうである。湯桶読みとは、訓音読みであるが、ニュアンスをわかりやすくするために原理(1文字目が訓、二文字目が音)から例(湯桶)に立ち返った表し方をしている。他には、イントネーションなどを表す時に、一般的なものの例を出すのも、これである。(善逸=えんぴつ、など)

色即是空

 色即是空とは、色相(示相化石、雲相)のものは空相の性質を持ち、空想の性質のものは色相である、という仏教思想である。これを記号の反復の考え方で解釈する。

 

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無限小に近づく赤色領域

 基本的に、集合A、B......としていた時に、A≧A∧Bであるし、任意の集合S、Tについて、S≧S∧Tである。そのため、物事を解釈する軸を無限大に拡大していった場合にできあがる「すべてを説明できるもの」は限りなく小さいものになると予想できるし、それがいわゆる「空」ではないのだろうかと考えた。しかし、この「空」は領域は小さいが、すべてを説明できる性質を持っており、先に挙げた「その場限りの意味」の青い楕円に必ず合致するものである。(精度の高いものならば)

 そうであれば、空は色の性質を持ち、色は空の性質を持つという色相と空相の性質にも矛盾しないため、これがそうなのだといえる。

余談

仏教には刹那滅という考え方がある。それは、「すべてのものは、発生し、存在し、変化し、消滅する過程を経る」という考え方である。この考え方は非常にあいまいで多くのものに適用できるので、何か難題にあたった時に(比喩的に用いて)解明する糸口に使えそうなものだと感じた。