レポートの書き方ーSB

厄介な課題が出た。

「あなたの興味の持った現象について、授業で扱ったモデルを利用して説明しなさい。」

 この種の問題は非常に厄介だ。自分で問いを設定し、自分で解決する。シャドーボクシングといってもよい。タイトルのSBとはこれのことである。厄介すぎて、こんな文章を書き始める始末である。

 これは、「圧」である。レポートを各方面に係る心理的圧力に対して、レポートの壁があまりにも堅牢である。そのためレポートという事象を支えている壁が破損し、私の意識があらぬ方向に漏洩している状態なのである。

 ここ数日、私は寺のバイトをこなして疲労している。心なしか頭の働きも鈍い。(社会に出たら1ッ週間で過労死する気がする)それに、おそらく私の体内では暴露したコロナウィルスを必死に処理している最中であるため、いつもより「余裕」がない。何となくわかるのだが、疲れやすくなって集中力も散漫だ。この状態で紡がれる稚拙な文章を見られる不幸を許していただきたい。

何が厄介か

このような問題の何が厄介なのであろうか。2つある。一つは、我々の思考形態との不和である。

思考形態とSB

 人間の思考は、無矛盾な体系である。私はこれを以前、クモの巣を用いて説明したのであるが、つまり安定な状態で存在しているのである。一方で、問いを答えるというのは、不安定な状態から安定な状態への変化といえる。

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問から答えへ

 問いという不完全な状態は、回答(=補強)の余地がありえる形態であり、一方で結論、トートロジー化した答えは、安定である。そして、人間の意識内には問いのみが存在しており、安定状態の結論は無意識化においておかれるのである。否、無意識化においても残り続けるといった方が正確か。問いの状態で無意識に放り込まれると、忘却されてしまうし、安定状態のものを意識内においても邪魔なだけで何か変化を及ぼすこともできないので。

 問いに答えるというのは、意識下にある問いを無意識によって解釈する作業である。これは輪を作る作業と言い換えてもよい。問いに答えることで、その問いと答えの間の道筋は安定化する。問いに対してさらに優れた回答が用意された場合、輪はそちらの方で上書きされ、古いものがどうであったか忘れてしまうのである。塾講師の指導などで、「間違った部分を消さずに残しておく」というのは、古いものと新しいものを残すことで、さらに良いものが見えてくるからである。

 さて、本題に入るが、我々が日常で問題に直面したとき、それを自らの論理で処理し、無意識領域に沈めてしまう。また、問いというのは輪を形成する前段階である。日常で感じた疑問を自分で解決するというのは、輪を形成する動的な精神活動であり、これは決して常にそうあるわけではないのだ。であるから、その現象が起きたときに疑問と自分の回答をノートにメモしておかなければその動きというのは忘れられてしまうのであり、任意のタイミングで思い出せと言われてできるものではないのだ。

 このレポートの課題にシステマティックに答えようとするならば、「自分の中にある任意の論理の集まりを切り取り、それを分解して質問を取り出し、その質問に答える」という手法しかないが、私はこれをやったことはないし、これが可能だとも思っていない。そもそも無意識下の話である上に、一つ一つの輪はそれ以外の輪による安定化の作用を強く受けており、それを切り離すならそうした側から論理は雲散霧消してしまうからである。また、このような精神構造をしている人間の論理は極度に単純化されており、レポートに書きうるほどの制約の多い質問を単離することは困難だ。

思考順序とSB

 人間の思考には順序がある。例えば、Aで始まる英単語といえばApple, Amazon等々いくらでも挙げられるが、5文字目がaの英単語と聞かれたらどう答えるか。システマティックな考えは不可能であり、適当に英単語を考えて、それぞれが条件に合致しているかを確かめる以外に方法はない。(人間の脳のみを使うこと)

 任意の問に対して、答えの条件を指定される今回のレポートはそれである。問いより先に答えを知ることはできないし、その答えが要求に合致するかを答えを知る前に判断することも不可能なのである。これはまるでじゃんけんのグー・チョキ・パーではないか。問いがわからないから答えがわからない。答えがわからないから答えの条件を満たすかがわからない。答えの条件を満たすかがわからないから問いが決められない。

ではどうするのか

 書けないからといって書かなくてよいという泣き言が通る世界ではもちろんない。どんなに書くべきものがなくとも、○門が裂けてもひりださなければならない。その時に行うべき対処法をここで整理しようと思う。これは私の明日明後日(2つのレポートの締め切りが重なる日)に向けた行動指針の確認でもある。どうか健闘を祈ってほしい。

すべきこと1

 レポートを書く際にまずすべきことは、そのテーマに関して習熟することである。習熟などありえない話!中国人を登場させるな!となるかもしれない。しかし、書くべき内容について深く理解していればしているほど、問題を見つけやすくなるのもまた事実である。我々は知っていることを呼び水にして知らないことを知るようになる。知識を増やして、網を広く張って待てばより多くの羽虫が引っかかるようになるというのは言うまでもない話だろう。

すべきこと2

多くの問いに触れることが重要である。文系の問題の場合、新聞や雑誌など様々なものを読み、何が起こったかだけでも把握しておくべきだろう。精読する必要はない。問題を発見することだけが目的であるので、あまりライターの意見に左右されすぎると、自分の解釈を交える隙間がなくなってしまう。そうなれば、自分の世界観と現実認識の間に齟齬が生じてしまうことは必至である。

 教員が特にテーマを決めずにレポート課題を課すのは、完全に怠慢である。誰が好き好んで取っていると思っているのか。意欲・関心・態度を評価したいなら小中学生でも教えていればよいのだ。さて、これらを書くことで私の脳もすっきりしてきた。バイト中はあまり頭を使わずに虫のように動いていた。知能が大きく下がったような感じがしたので、環境の要因とはつくづく恐ろしいものだと思った。そして一つ、賢いというのは、必ずしも優れていることではない。賢すぎると、愚者の行動に頼ることができなくなってしまう。愚者がどのように考え、行動するかを推察することはできても、それに自分の命運を預けることなどできないのだ。崩れそうな足場に体重をかけられないのと同じように。それをするのは詐欺師である。詐欺師は1枚だけ上手でなければいけない。2枚、3枚上手では務まらないのだ。