真理の揺らぐ現象について

正しさ

学問と捨象

 現代の、抽象によって事象を部分的に観測する学問によって認められた正しさは、相対的なものである。例えば物理の初歩的な問題を例にとろう。

 ある物体を投げたとき、その速度vは、v=gt-v0である。しかし、これは空気抵抗を無視した話である。空気抵抗は、速度と比例の関係にあるため、ある定数kを用いてp=-kvと表せる。すると、空気抵抗も含めた速度の式は...少なくとも前の式とは違っているし、現実とはより近くなっているだろう。

 この例を出した目的は、以下を言及するためである。「現実の現象は多くの要因が絡み合って起こっている。そのうちのいくつかのみに注目し、関係性を明らかにすることが可能である。それをパズルのように組み合わせて一つの統一した理論体系を構築しようとしている。」

より直感的な理解

これを通して何が言いたいかというと、「要素間の相対的な関係は、系全体の絶対的なものとは違う」ということである。左から理論A、理論Bとの単純接続、理論AとB接続形態である。それゆえ我々はこのフラグメントを世界の大まかな傾向として認識することにしか使えず、厳密な分析に使おうとすれば、必ず専用のチューンが必要になるのである。

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理論の接続と変性

 これは統合すべき法則が多くなればなるほど、理論体系が大きくなるほどに全体的な修正が必要になってくる。

系とは何か

論理

 論理とは推論であり、基本的に「A→B」である。しかしこれは我々の頭の中にある一部分にすぎず、安定ではない。A→B→C→Aというように、「回路」が形成されているとき、それは安定になるのだ。なぜなら「A→B」というのは「A」が真でなければ観測されない(=無である)のに対して、このような「A→B→C→A」というのは、A,B,Cのうち一つでも当てはまればその回路が有効になるためである。また、上の回路においてはA→BでありB(→C)→Aが成立するし、輪が認められるのであれば任意の輪上の点p、qにおいてp→qかつq→pが成立する。

 ある人は、「辞書は相対的なものである。なぜなら辞書に載っているすべての要素はトートロジーだからだ」といっていたが、私は逆に、トートロジーという相対性の中で、非常に大きい相対性の系を築くことによりその系内での絶対性ー記号が繰り返されることで意味が確からしくなることーを高めたものだと言いたい。言語の重みは辞書の重みなのだ。(相対性と絶対性の間でうまく分節しているのが辞書のありようだともいえるが、これはまた別の機会に。)

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クモの巣モデル
論理に対する私見

 すると、我々の論理というのはクモの巣を例として考えることができる。我々が内面に構築している論理のシステム(=価値観)がクモの巣であり、考えるべき事物が「羽虫」である。当然クモの巣は譬喩にすぎず、現実の我々が内部に張っている論理の「巣」はさらに高次元で複雑であるが。我々が巣に羽虫を感知したとき、我々はその場へ向かい、巣の格子点に足を置いてその獲物を咀嚼する。そして破損した巣を修理するのである。我々はある事象に遭遇した時、自分のもつ言葉、価値観でそれを語り、そして論理構造を最適化して自己のその領域に上書きするのである。

 マルクス主義や幽霊の話など、不可能な事象についても人間は精緻な巣を構築することができる。しかし、それらの巣には獲物がかからない。「語りえぬことについては、沈黙しなければならない」とはこういうことなのだろうと考える。そこで守株待兔しても餓死するだけなのだ。さらに、その巣は他の場所で巣を構築した際のノウハウを流用したにすぎず、そのケースにぴったりと用が足りた構造とは程遠い。ここで、一つのマスを取り出してみよう。以下の構造を仮定して、輪A→D→G→B→C→F→E→Aを考える。

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ある系

 理論体系とは無謬な系であるから、任意の推論において他の推論を経由して自身を言及できる。その網において一つのトートロジーを取り出してみたときに、それを統合した論はすべての単理論に影響を受けているため、それより小さい。そして、端のある論理では現実の解釈と端が一致しているが、環状になると現実の解釈は完全に単論理の内側に入る。

 A→D→G→B→C→F→E→AはA→D、D→G、G→B、B→C、C→F、F→E、E→Aのそれぞれの単論理よりも複合的であるがゆえに全体的なチューンを受けている。この作業は厳しい。基本的にはA→DにD→G(A→GとD→Gを確認)を追加し、A→D→GにG→B(A→B、D→B、G→Bを確認)を追加し...と一つ追加するごとに最適化していかなければならない。

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完全な系と各理論の関係

 

 さらに、この輪はすべての要素間で影響しあっているため、要素の数をnとしたときにn(nー1)/2回のチューニングをしなければならない。(中には物理法則のように1っ本の数式に新しい要素の影響分を加減するだけで済んでしまう場合もある。)その際、調和させるべき要素を集合Aと置くならば、調和の際に言及すべき要素はAの冪集合になるのである。

結論

 これをまとめてみると、「我々の言葉というものが相互に立脚しあって現実を覗く定規の役割を為している」となる。しかし、このスケールは我々が何かを認識しようとするたびにその一番興味のある部分がゆらぎ、真理も揺らいで見えるのだ。どのようにすればこの世の真理に到達できるのか、所詮我々は複雑な栖み家に蔓延るモンスターに過ぎないのではあるが。